最近の新型コロナ問題に対する様々な批判は、本来の批判の意味を理解していないのではないかというより、間違って使用していると思うのは小生だけでしょうか?
つまり、「批判」という言葉を「否定」と同じ意味で使っているように見えます。
例えば、「批判する人の気が知れない」「批判は止めましょう」と言うように批判を否定的意味として使っています。否定的ならまだしも、相手への攻撃を目的として悪い部分や気にくわない部分を感情的に責める「非難」になったらたまりません。そこには自分のためという視点しかありません。
とは言っても、野党や評論家は現政権を批判することが仕事であるから仕方がないと言えばそれまでですが、せめて否定的意味までにとどまって欲しいと思います。
批判とは本来、判定・評価することで、悪い点も良い点も同じように指摘します。
そういう意味では批評という言葉に近いかもしれません。
批判とは「相手の間違いや悪い部分を論理的に指摘して改善を求める」ことです。
そこには相手のためという視点があります。
例えば、「批判を受け入れなさい」「批判されることは成長につながる」という批判は改善という良い意味として捉えています。
小生の拙著「日本のフォロワーシップ(部下道)」では、批判を「部下が上司に対する意見具申(諫言)」として捉えています。
意見具申にはリスクが伴います。
上司が部下を批判するのは易しいかもしれませんが、部下が上司を批判するのは非常に難しいことだと思います。自分の上司に貴方は間違っていると言えますか?
言うには結果として何らかのリスクを背負う覚悟が要ります。その覚悟とは、一例が不適正な人事考課でしょう。武士道では切腹とも言われています。そういう意味で「フォロワーシップの真髄は批判力である」と言っても過言ではありません。
組織において、部下が上司に対して意見具申(批判)するには以下の着意点が必要です。
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批判するには自分の考えがないとできません。そのためには日頃から、自分ならこうするという考えを持つことが必要です。仕事では指示待ち人間でなく、自主自発的な行動をとりましょう。
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相手に受け入れてもらうには、指摘ばかりでなく改善案を提示することが必要です。
また、意見具申をする際は、適切な伝え方(TPOやコミュニケーション)を工夫することも必要です。
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良い意味で、相手に信頼されるまでは批判せず、ゴマをすりましょう
ただし、批判を受け入れるか否かは相手が決めることであると割り切ることも必要です。
逆に、自分が意見具申される立場になった場合は、相手は自分の大切なもの(人事考課、命)をかけて自分のために言ってくれているのだと思い素直に聞き入れ、直すべきところは直すという度量を持ちましょう。
最後に、批判は必要な時にして初めて役に立つものであり、必要でない時にしても意味はありません。必要な時とは右に行くか左に行くかの決心時(例えば、コロナ感染防止と経済の活性化の問題)或いは決定直後(例えば、緊急事態宣言の解除の是非)であり、必要でない時とは決定事項の結果が出た後(例えば、コロナの2波が出始めた頃の自主規制解除の早期論)です。
役に立つ批判には、リスクが伴います。そのリスクとは自分の言った意見の結果に対する責任です。